愛媛県の国民体育大会の歩み
国民体育大会は、戦後国民の日々の生活が困窮し、その意気もすっかり沈み切っていたとき、 『スポーツを盛んにして明るさを取り戻し、気力をふるいたたせたい』 と昭和21年に大日本体育会(日本体育協会の前身)が、 全国都道府県との協力で始めた国民的スポーツ祭典である。
毎年地方の持ち回りによって、年ごとに盛んになり今では、”国体”の愛称で親しまれている。
以下第1回から郷土選手の健闘のあとを振り返ってみたい。
『第1回大会 日時:昭和21年11月1日~3日(秋季大会) 場所:京阪神』
戦災を免れた京都を中心に、大阪、滋賀、奈良、兵庫の近畿一円で行われた。 終戦直後のことで開催には幾多の困難があった。 24競技に全国から5300人という予想以上の人たちが集まった。 本県からは陸上、バスケットボール、軟式野球、軟庭、卓球、相撲、の6競技に参加した。 ただ第1回のことだったから、今のような県対抗の競技方法はとれず、地域対抗の形がとられたが、 競技の運営、選手の態度ともに立派だったので、国民全体が強い自信を得、さらに大会のかもし出す雰囲気によって、 国民の間に清新明朗の気風が注入された。
また、スポーツを通じて、いかに新日本建設の意欲が燃えていたかということがよくわかって、 国体開催の意義は第1回で早くも達せられた。
郷土勢でもっともめざましい成績を収めたのは卓球競技だった。女子ダブルスで高市・郷田組(済美高女)が決勝に進み、 地元京都組にフルセットのすえ惜敗したが、幸先よく準優勝をつかんだ。 さらに混合ダブルスの岡本・高市組(松山)も快調なペースで準優勝、軟式男子シングルスの増本(松山)も初戦で 第4シードの薄井(東京)を3-2でくだして準々決勝に進出し、それぞれ敗れはしたが、早くも”卓球愛媛”の実力の片鱗を現わした。
陸上は、荒木(日新科学)が走り幅跳びで5位に入ったほかは、入賞者なし。
軟庭は中学男子で波多野・山本組(松山中)が1回戦で川崎中に4-3で勝ったが、2回戦で優勝候補の岐阜商に4-1で敗れ、 一般男子の野本・篠崎組(松山)は初っぱなで第1シードの日向・福田組(山梨)を窮地に追い込み、あわや番狂わせを思わせたが、 ひっくり返され4-3で惜敗した。一般女子の白方・岩井組(松山)も3回戦で岡山に4-1で力尽きた。
軟式野球の四国配電(現在の四国電力)は1回戦で岐阜県庁に接戦のすえ、7-6で上位進出を阻まれた。